instagram_icon facebook_icon x_icon
ページトップへ

熱いネタ、あります。

steam
steam
steam

やっぱりカレー屋?俺のカレー歴史【其の1】

やっぱりカレー屋?俺のカレー歴史【其の1】

こんにちは、シードライブ代表のアンドリュー斎藤でございます。
今日は、いつになく非常に真面目な話をしたいと思います。
(と言ってもまだ第2回目ですが…)

そうです。カレーの話です。

シードライブの歴史を語るには、もはやカレーなくしては語れず、会社の歴史、文化、精神にまで、じっくりトロトロ煮込んだように深く浸透しています。

では、そもそもなぜカレーがここまでシードライブに根差していったのか紐解いていきましょう。

~カレー史開闢(かいびゃく)

まずはじめに、本格的にカレー好きになったのは、社会人になったばかりの頃、友人に連れられて行った渋谷宇田川町交番前のビルにあった「ラージ・マハール」というインド料理屋さん。
そこで食べたサグ(ほうれん草)チキンカレーナンに衝撃を受けたことに始まります。

当時はまだ、インド料理は今ほどありふれた存在ではなく、お店は限られた繁華街にしかなく、しかも高級料理だったので、社会人になりたての若造には気軽に行けるようなお店ではありませんでした。

そんな20代前半のまだ家庭料理以外をあまり知らない非常に純粋(ピュア)な自分にとって、ほうれん草の緑色でドロドロとしたスライムのようなカレーナンに付けて食べた時の衝撃は、まさにビッグバンでした!

程なく毎月給与後には必ずこのお店に通うようになりました。

それからというもの、頭の中はカレーオンリー。

もっとカレーを知りたいという欲求と、世の中にまだ知らないカレーが無数に存在するという事実に愕然とし、どんなカレーにでも闇雲に挑戦するという混沌とした時代が続きます。

そんな中、神保町「ボンディ」、御徒町「デリー」、信濃町「メーヤウ」など、様々な名店のカレーを味わうようになり、次第にカレーに対しての視界がクリアーになってきました。

このことを「カレーの晴れ上がり」と呼びます

幼い頃から慣れしたんだ日本式カレーとその他という曖昧に分類されていたカレーに光が差し、多種多様なカレーに対しての認識が爆発的に広がっていったのです。

こうして、認識の広がりと共に発見されたカレー店巡りを数多と繰り返し、やがて、輝く恒星を周回する惑星のように、お気に入りのお店に通い詰めるようになっていったのです。

To be continue…

すこし長くなったので、今回はここまで。
次回以降更なるシードライブのカレー史を紐解いていきます。


*ラージ・マハール 渋谷店
残念ながら閉業されています

*欧風カレー ボンディ 神保町本店
URL:http://bondy.co.jp/web/index.html

*カレー料理専門店 デリー 上野店
URL:https://www.delhi.co.jp/

*メーヤウ
URL(Twitter):https://twitter.com/maeyao0711

プロフィール画像

この記事を書いた人

ITでワクワクする未来を共に創造しませんか?